2009年12月20日日曜日

Nanning→Pingxiang→Hanoi

南寧(Nanning)


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南寧(Nanning)到着


現在朝の6時前


さ、さむいぜ!!


となり、今日はここにステイすることなく、ハノイ(ベトナム)まで行っちゃえ



っと決心


駅前の屋台で包子(パオズ)を食う
2個で1.5元(20円)


日本のコンビニで買う肉まんが馬鹿らしくなっちゃうね朝の6時から暴飲暴食状態だが


麺を食らうことに



この麺


相当、辛いぜ!!


麺は透明なヤツでつるつるいけるが、このラー油か豆板醤何かのパンチ力が半端ないす






Pingxiang行き(一番上)

7:57発5517硬座
30元(390円)

約3時間30分


凭祥(Pingxiang)


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Pingxiang到着

駅を出た瞬間

「Vietnam border??」
の客引きに囲まれる

一応20kmあるとのことで、バイクタクシーを雇い

let's go!! 20元(260円)
風をもろに受けるから、

さ、さむいぜ!!
南に来ているにもかかわらず、日本にいるとき以上に寒い気が・・・
夏はめちゃくちゃ暑いと思われるが
バイタクのナンバー
こんな道をひたすら走る





borderに着いた模様

しかしなんだが、国境にしてはかなーり平和でまったりした雰囲気

「こ、これは・・・。公園の入り口やんけ!! バイタクのオヤジに騙された!!」
と思い、後ろを振り返ったら

ブーンッ!!

っとオヤジ逃げた模様

「ありえんすね~。オヤジ一生恨むぜ・・・」
入り口のofficerに聞いてみたら

「この奥だよ」

だって

バイタクのおっちゃん疑ってごめん
しかし、いつになく変な国境ね
とてもpeaceful!!
なんとか美景区って書いてあっただけに山がきれいなとこ
検査って書いてあるぞ
これは国境の雰囲気・・・
旧入出国管理所
フランス統治下時代のものか?
建物が中国orベトナムぽくないね・・・
友誼関
wikipediaで調べてみたら、結構歴史深い建物みたいね・・・【以下参照】
Friendship Gateだけど、裏事情が100年近くに渡り、中国とベトナムにはある模様
清とフランスがドンパチやったところには驚き!!

誼関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

友誼関
各種表記
繁体字:友誼關
簡体字:友谊关
拼音:Yŏuyì Guān
発音:ヨウイー グアン
英文:Friendship Gate

友誼関(ゆうぎ-かん)は
中華人民共和国広西チワン族自治区憑祥市中心部より南西15キロメートルに位置する中国とベトナムの間の国境。湘桂線によりランソン省と連絡されている。 この友誼関(ゆうぎ-かん)のベトナムではAi Nam QuanまたはTran Nam Quan(鎮南関)と呼ばれ、ベトナム領の最北端にあたる場所だった。 1999年 越中国境調印が極密に行われ以降中国の領土になった。現在、ベトナムではこの調印については極密情報として扱われているためベトナムのメディアに取り上げることを禁止され、取り上げるメディアには処罰されるという。これらの領土問題でベトナム政府の弱さが浮き彫りになりベトナム国民がベトナム政府や中国に対する不満が高まったる。
漢代に初めて建設され、当時は鶏陵関、その後大南関、界首関、鎮南席と称された。1953年には睦南関、1965年に友誼関と改称され現在に至る。
歴史事件
1885年光緒11年)、約2,000名のフランス軍がランソンより鎮南関に侵入、清朝側馮子材率いる黒旗軍が関内4キロメートルのとことで戦闘を展開しフランス軍を撃退している(鎮南関の役
1907年(光緒33年)、孫文黄興による鎮南関起義が発生した。
1979年 越中戦争(中国がベトナムに武力で侵攻)で中国人民軍200.000人が侵攻。
1999年 越中国境調印が極密に行われ以降中国の領土になった
こちら中国国境サイド
ずいぶん派手な建物を建てたな
そこまで国境を越える人は多い気がしないが・・・
まぁー
中国のお得意のパワーの誇張かな
中国とベトナムの出入国審査所の狭間
みんな歩いて超える
おぉ
ベトナムの出入国管理所はお世辞にもぼろいな
これが中国とベトナムの差かな??
と感じざる終えない・・・



ランソン(ベトナム)


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国境からランソンという町までタクシーを雇う
ベトナムドン(通貨)を持ってないといったら、中国元でもOKらしい
んじゃ、いざランソンへ(20km)
 距離的にさっきと同じだったので20元(260円)で  
と、タクシーの行くままに任せたら、勝手にハノイ行きのミニバスのターミナルへ連れて行かれる
「とりあえず、駅に行けぇー!!」
と喚いたけど、
「駅はココからさらに遠いよ。しかも電車ほとんどないし」
と得意のおとぼけモード
どうやら、ハノイ行きミニバスとタクシーの運ちゃんが組んでいる模様
はぁー。どうするか??
とふと横を見たら、同じ感じで連れて来られたイングランド人2人組が
「ハノイっしょ??」
って話になって、まぁ腹減ったし飯を食ってから考えようってことに
んで、上が鶏がらスープと煮込んだ肉と青菜
指差しでオーダ
50000don(250円)
イングランド人2人組に話を聞いたら、
ロシア→モンゴリア→中国→ベトナム(今)
の4ヶ月目とのこと
なるほどね~
ユーロからくるとロシアのシベリア鉄道って手があるのねと関心
一度逆ルートで回ってみたいなと思った



ハノイ(ベトナム)


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んで、結局そのミニバスでハノイまで来た
約4時間すし詰めにされ、身動きできない過酷な環境
ふぃ~
疲れた
まぁ。到着できたからいいっか
っとなり、ご飯を食べに行く
cha ca la vong チャー・カー・ラボン
というライギョで有名な店
100年前からの老舗
目の前の通りもこの店の名前
けど意外と質素な感じのお店
なんかいい感じ
といあえずの本日のビール
チンタオビール(中国)から脱出し、初のベトナムビールにたどりついた
thang long
こんな感じで鍋が出てきて、ライギョと香草がターメリックでグツグツ煮込まれている
んで?
どう食えば?
っとキョロキョロ
隣のベトナム人の好青年が
手取り足取りでつたない英語で(こちらも)教えてくれる
「もう食えるぜ」
んじゃ、日本の居酒屋の鍋の〆のノリで麺を勢い良く投入!!すると
「麺は鍋に入れないで、そのまま取り皿に取って、鍋から具を入れてピーナッツと香草を入れるんじゃー!!」
とかなり怒った風に言ってくる
むっ? コイツベトナム鍋奉行だな! と確信
ココは「郷に入っては郷に従えだ」と言い聞かせる
確かに日本で外人が変な食べかたしているとイライラするのは、かなーりわかる気がする
これが完成図
ライギョ! ウマイ! ウマイ!
と食っていたら、颯爽と隣のベトナム鍋奉行好青年が去って行く
去り際の笑顔がまた好青年だったなぁ~
壁に掛かっていた写真
テーマ: オーナー(たぶん・・・)とライギョ
ライギョデケェー
んで、腹も一杯になったことだし
ふらふら散歩開始
クリスマスが近いからクリスマス商品が多く並ぶ
ベトナムにもクリスマスあるんね
この赤と黄色は・・・
中国人のお店
2月の旧正月用?
路地はこんな感じ
祝65周年!!
でも、何の??
1944年12月22日はベトナム人民軍が作られた日らしいす
この人民軍よって翌年、当時ベトナムを植民地化していたフランスと戦ったわけなのね
フランスその後、アメリカと戦争したわけか
ベトナムは戦争の歴史が多いね
とうとう、ベトナムに入ったからには、ベトナムコーヒーを飲まねば
これも今回の目的のひとつ
中国では全くカフェの文化がない(スターバックスなんかに行けばあるけど。ローカルで。あ。でも中国はカフェじゃなくて飲茶の文化があるか・・・)けど、国境をひとたび越えるとプラスチックのイスと机を道に並べたカフェがヅラヅラ
う~ん。イイね!!
これもおフランスの影響かな?
この濃くて(エスプレッソとはまた違う)、あまーいヤツが飲みたかったのよ
10000don(50円)
またふらふら
今日は日曜日で"ほこ天"やってる
夜市だ! 夜市だ!
本日のホテル
荷物がぐちゃぐちゃ
US$12
疲れたぜぇ~